【若院の雑記】一水四見 〜子どもの豊かな視点から〜

4歳の息子と3歳の娘。

最近は二人で、おままごとをするようになりました。

夫婦で目を放していたすき散髪さんぱつごっこ」をしたようです。

バービーちゃんが丸坊主に…。

僕は、「可哀想かわいそうに」と思いました。

「大人の女性だから、長い髪を切ったら悲しんでいる」と受けとめたわけです。

ところが子どもにとっては、散髪はたまの楽しい経験なのでしょう。

二人はケラケラ笑いながら「かわいい」だって。

きっと「バービーちゃんも楽しい、かわいくなった」と考えたのかな。

僕と子どもで、バービーちゃんの心情が違って見えたようです。

またある時は、
おばあちゃんの育てた花を水に浮かべて「いけばな」と言いながら遊んでいました。

子どもたちと僕で、ものの見方の違いを実感しました。

仏教でも「一水四見」(いっすいしけん)という教えがあります。

同じ「水」でも、
見る者によって、たとえば4通りに見えるということです。

人間にとっては、のどうるおす飲み水。

にとっては、住むところ。

天人てんにんにとっては、目を楽しませる瑠璃るり(ガラス)の風景。

餓鬼がきにとっては、水は、
飲みたいのに手を触れた瞬間、燃え上がる火傷やけどの種です。

バービーちゃんを丸刈りにした子どもを
しかろうかと思いましたが、やめました。

子どもの感性の豊かさには驚かされます。

バービーちゃんも子どもには、違う感想を語っているのでしょう。

そんなことを思いながら今日の午前中は、

妻と一緒にバービーちゃんの髪の毛の散らばった居間を大掃除しました。

やれやれ…。