毎朝のウォーキングが、ここ四年の習慣となっています。今朝は冷え込みまして道の草が凍ってキラキラ光っておりました。しかし、習慣となると暑くても寒くても、目が覚めると自然とウォーキングに行くようになりました。お念仏も習慣となりますので、皆様も毎朝起きたらお念仏なさられて、なにかしていてもお念仏が南無阿弥陀仏と出てきますと、なって欲しいものです。 今日は「生死の苦海ほとりなし ひさしくしづめるわれらをば 弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける」という御讃題をいただきました。親鸞聖人の御和讃は『浄土和讃』、『高僧和讃』、『正像末和讃』の三帖に分かれております。この御和讃は『高僧和讃』の龍樹菩薩を讃える一首です。  これはうんと昔の話ですが、稲垣瑞劔和上だったか、和上様がお弟子さんと一緒に本願寺の総会所へお聴聞へ行かれた。すると、そこで御説経をしていたお坊さんが緊張して頭が真っ白になってしまった。それで御讃題が出てこなかった。最初の一句「生死の苦海ほとりなし」で止まってしまって、「生死の苦海ほとりなし」を繰り返すばかりだった。それで御説経が終わってから、お弟子さんが和上に「あの御説経師は何を考えているんだろう。御讃題もろくろく出てこないようなつまらない説経だった」と批判したんだそうです。それを聞いて和上は、「そうじゃない、今日の御説経はとても有難い御説経だった」と答えられたそうです。和上になると、同じ言葉を聞いても味わい方が違うんでしょう。私も若い頃には、「生死の苦海ほとりなし」という言葉を頭で理解していた。ところが段々と味わいというのは年齢と共に変わってきます。「生死の苦海ほとりなし」、なるほどその通りだな、と、段々と理屈でなくて、うなずけるようになりました。  「生死」とは迷いのうちにある世界のことです。生まれては死に、生まれては死ぬという、果てしなく繰り返される命のあり方のことで、仏教ではこれを迷いの世界といいます。ここにいる私そのものが迷いのただ中にいる。  迷いを別の言葉でいえば煩悩です。この煩悩が身体に満ちあふれているわけです。これは寝ているのと同じで、お釈迦様は、この迷いから真理に目覚めなさったんです。おそらく、お釈迦様は感受性の強い方だったんでしょう。生まれ、年老い、病を得て、死んでいくという事柄を人ごとではなく、自分事としてとらえられたのです。王子の頃、馬車で散歩に出られて道行く老人を初めて見た。王宮には年寄りがいなかったので、御者に「あれは何かと」たずねて「あれは老人です。そして王子様もやがてあのようになるのですよ」と答えられ、自分自身もそうなることを理解してガッカリして帰ったそうです。しばらくして、また散歩に出かけ病人を見かけ、また別の日に死人を見た。そのたびに自分自身が病を得て、死んでいかねばならないことを知らされて意気消沈された。そしてまた別の日に散歩に出かけたとき出家者の姿を見た。それで出家しようと決意された。人間は、ここでは生まれた限りは年取っていって、いろんな病気をもらって、死なねばならない。その解決をつけんがために自分も出家しようと、二十九歳の頃、国と王位を棄てて出家をされた。  そこになぞらえて考えると、仏法を聞かせていただくということは、私とは何者であるかがあきらかにすることです。ここで出される、あなたは何者かという問いは、世間的な肩書きを聞いているのではありません。私は、住職という職責を勤めさせていただいておりますが、それを聞いているわけではなくって、あなたそのものは、どこから来てどこへ行く何者なのかを聞いているわけです。あなたは、この世界に生まれる前はどこにいたのか?問われても答えに詰まります。やがて死ぬけれども、どこへ行くのか。私も皆様も、今は行き先が決まっていますが、そこを仏法に知らせていただく。  禅宗の道元禅師も「仏道をならうというは、自己をならうなり」と仰っておられます。どこから来て、どこへ向かっているかという話です。ここには私の妻もおりますが、これも不思議な話です。長年連れ添っていますが、生まれる前はどこにおったのかは知りません。子供だってそうです。どこから来てどこへ行くのかわからないもの同士が、家族として生活する。様々な縁があって苦楽を共にする。不思議な話です。  道元禅師は「仏道をならうというは、自己をならうなり」という言葉の後に、禅宗の方らしく「自己をならうというは、自己を忘るるなり」と続けます。自己を忘れるといいますが、本当に忘れたら認知症というところでしょう。私も歳と共に物忘れが激しくなってきました。しかし、道元さんが仰る「自己を忘るるなり」とは、仏道を学んで、私が明らかになると、    そして仏道によって明らかになる私とは我執の塊です。親鸞聖人は、その有様を「煩悩具足の凡夫」と仰っておられるわけです。つまり煩悩が私たちの身体に満ち満ちている。また、それだけでなく私たちの生活している、この世界そのものが迷いの世界としか認識できない。なんでかといえば、この世界が我他彼此だからです。私とあなた、アレとコレと全てのものを相対的に見ていくのが、この娑婆世界ということです。「私とあなたは一つなのだよ」、といってもわからない。私とあなたは別々の人間です。ところが「生死の苦海ほとりなし」の「ほとりなし」というのは、迷いというのは私の中だけでなくて、私が身を置いて生活している世界が、まさしく相対の迷いの世界だということなんです。  この前、法事で『正信偈』をお唱えしました。その中に「邪見驕慢悪衆生 信楽受持甚以難 難中之難無過斯」とあります。邪見と驕慢の者は、仏様のおこころをそのまんま真受けにすることが「難中之難無過斯」、甚だ難しい。たまに「院主さんは、娑婆の縁が切れたら、お浄土にうまれるのだと言われるけど、そんなの嘘だと」「人間死んだら全て無になるのだ」と仰る方がおられる。人間は色々生きているから、思うし感じ考える。それが死んでしまったらなくなってしまうから無になるのだ。という考え方が邪見です。これが無の見です。  逆に有ることに執らわれることを有の見といいます。お浄土へ往くといったり、地獄へ堕ちると言ったりする。何が往くんでしょう?あまりこんなことは考えませんか。私の身体は滅びるんだけど、お浄土へ往くといったり、地獄へ堕ちるといったりするけど何が往くんだろう。人によっては身体が滅びても霊魂、いわゆる魂が残って地獄へ行ったりするんだといいます。そんなふうに考えるのを有の見というのです。じゃあその魂とはなんですか、と聞いたら私の身体とは別個に実体として存在するもので不滅で、それが地獄や極楽に行くのだというわけです。これを有の邪見というのです。  各々お浄土へ往くのですが、お浄土へ往ったらどうなるんだろう。わからないでしょう。このまま往くのだと思って、別にかまわないです。そんなのは別に差し障りない。わかったことを言ったところで、実際の所はわからない。私は「人間死んだらしまいや」という人には、逆に「あなたはわかったように死んだら終いやと言うけど、ほんなら死んだことあるのか?」とね。死んだことある人が言うならまだ聞く耳を持つけど、死んだこともない人が、人間死んだら終いやと言っても、何をいい加減なことを言っているとなるでしょ。有るということに執らわれる。あるいは無いということに執らわれる、これをいわゆる邪見と言うわたわけです。  ですから『正信偈』で「龍樹菩薩興出世 悉能摧破有無見」と、有るということに執らわれる有見と、また無いということに執らわれる無見も、どちらも偏った邪見であるということです。龍樹菩薩に、私に魂のような実体は有るのかと問うたら、「有るのではない」というのです。「無いのか」と問うたら、「無いのでもない」と答えられる。では、「有るのでも無いのでもないのか」と問うたら、「有るのでも無いのでもない、のでもない」と答えられる。さらに「有るのでも無いのでもないのでもない、のでもないのか」と問うたら、「有るのでも無いのでもないのでもないのでもない、のでもない」と言われる。いわゆるね、私たちの物を認識するレベルというのは、その程度ということです。有るのか無いのか、有るのでも無いのでもないのか、という白黒はっきりさせるという、二元論でしか物事を認識できないんです。なんでかといえば、迷いの世界、相対の世界に身を置いている限りは、そのようにしか認識できないのです。根本的な病気です。だから私の五蘊(身体の構成要素)そのものだけが迷いではなくて、この世界そのものを、そういう迷いの目でしか眺めることができないから迷いの世界になっているわけです。悟りを開いたらお浄土になるかもしれん。開いてみたらいい。けど開かれんわ。この身体と心を抱えておる限りは、不可能な話です。  最近、新しい納骨堂をこしらえてから各スペースにゆとりができた。ところが昔の納骨堂は小さかったので、こういうことを言う人がたまにおられた。「納骨堂の棚で名前の付いていないところは、まだ空いているんですか?」、「そうですよ」。「家の納骨堂は、もうここにあるんだけど、空いてる別の箇所を分けて貰ってもええですか」とおたずねになる。「分けるのはいいけど、なんで?」と聞いたら、「私、絶対この人と一緒に入りたくないんよ」と仰った。これはまあ、いわゆる嫁と舅さんの関係だった。今は嫁いびりなんてしていたら、後でどんな仕打ちに会うかわからないからせんだろう。逆らわん方がええですが、昔やから、その人は嫁いだ頃から嫁は使わな損やというような仕打ちがされてた。だから、まず姑さんが亡くなって、それで舅さんが亡くなったら四十九日を勤めて、納骨堂へ納骨へ来られたときに、「院主さん、私はこの人と絶対に一緒に入りたくないから、別のところが欲しい」というた。気持はわかるでしょ。よっぽど、こいつ嫌いやと思ったら、骨になっても憎たらしい。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いという言葉がありますが、それの親戚みたいなものですな。いじめられたら骨になってまで、こいつとこんな狭いところで一緒にいるなんて勘弁してくれという話です。これは執着です。しかし、私らも同じですよ。同じような目にあったら、こいつと一緒に入りたくないと思うんと違います?まあ、心配せんでもええ。骨と骨がね、納骨段の中で争うことはありません。もしそんなことがあったら骨肉の争いちゅうことになりますが、ないですな。そんなことをせんでも、ちゃんとここで仏様の教えにあわせてもらって、仏様の仰ることを聞かせていただいて、そうであったか、と気づかせていただいた方は、「ああ、アホなことでしょうもない怨念を引きずっておったのか」ということも、気づかせていただくことができる。けれども煩悩の心がなしになることは死ぬまで、ない。だから邪見がなくなることもない。  邪見驕慢の驕慢の驕は驕り高ぶりです。慢は慢心ですな。これがまたややこしい。どうですか。仏様の教えを聞いて、そのまんま素直に、ああそうでございましたか、とうなずけます?もし、うなずけると言う人がいたら、私は嘘つけと、そんなたちまち信じられるはずないじゃないか、と思いますね。だから、それをじっくりと聞かせていただいて、この私が十分に理解して、納得ができたら信じてみようかな、という人が多くいると思う。これを驕慢心というんですわ。こんなのは五十年聞いたって、百年聞いたって絶対にわからん。仏様のお喚び声というのは聞こえん。聞いてるけど、聞いとらん。聞いて理解して納得できますか?  仏様に成ったら神通力というのがある。六神通というのがある。六つの不思議な力ですわ。なかなか聞いて理解して納得しにくい。たとえば神足通は瞬間移動。天眼通は全ての世界を目の当たりに知ることができる。天耳通、全ての境界のことを聞くことができる。宿命通、自分の過去世のことを全てはっきりわかる。他心通、人様の考える事がわかる。私ちょっと人様の考える事がわかる。皆さん、私が話し始めて時間が経っているから、そろそろ休憩したらいいのにな、と考えておられるのではないですか。そういうわけで少々のお時間を頂きます。 後半  仏法の物の見方は私らが日常的に見ている見方とはちょっと違うんですね。一つ変わった話をさせていただきますと、世の中に親と子というのがありますな。親と子、どっちが先か、と聞かれたらどちらが先と思います?わからん?わかるでしょ、そんなん。親から子供が生まれているんだから、親が先だと思うでしょ。まあそやけど、それが世間的な見方で言う話です。親から子供が生まれたというけど、じゃああんた何時親になったんだ?と聞かれたら、私が親になったのは子供が生まれたとき親になったんだとなるでしょう。そしたらどちらが先やという話ではなくて、親と子というのは、実は同時に誕生しているんだということです。子が生まれる前から親にはなれんでしょ。私はどんなに親になりたいと思ったところで、子が生まれて初めて親になる。そこが私たちが子供の頃から学んできた算数とは違う考え方なわけです。親から子供が生まれるというのは、常識的な算数なら1+1は2です。ところが親と子は同時成立だという場合は2が1で1が2だという関係です。ただ、一般的な考え方の物差しでしか私らは物事を考えないからわからない。こういう事はわかったからといって、別にどうってことはないし、どうでもいい。どうでもいいなら初めから言うならといわれるかもしれないが、言ってみたかった。  それで休憩前の話に戻りますけど、邪見と驕慢の者の話をしていました。邪見は有るとか無いとかに執着を持つ事。人と人との喧嘩もそうでしょ。執らわれるから喧嘩になる。ある結婚式の来賓の挨拶でいいことを聞きました。花岡静人という布教使の先生が、「夫婦円満の秘訣をお教えしましょう」と。そんなん言われたら聞き耳を立てる。その次の言葉が凄かった。「そんなものありません」。それやったら初めから言うなよと思ったけど、確かに無い。その先生いわく「ただひたすらごめんなさいとあやまることです」と。そりゃそうや。片方がいくら腹を立てて息巻いても、片方がごめんなさいになったら、もう喧嘩にならんでしょ。でも、お前なにをゆうとんねん。わしの言うとることの方が、絶対に道理が通ってるやないか、と我を出したら喧嘩になる。しかし、これは花岡先生が始めて仰ったんではない。  日本でそれを始めて仰ったのは聖徳太子です。聖徳太子偉いですわ。憲法十七条の第十条にそういうことがいわれているんです。これを知ってたらね、いままで争いをいっぱいやってきたけども、こんなアホな事せんで済んでおった。気が付くのが遅かった。聖徳太子は第十条に仰っておる「忿を絶ち瞋を棄てて、人の違ふを怒らざれ。人みな心あり、心おのおの執ることあり」。人の心には執着がどうしてもある。その執着でもって自是他非、自分が正しくてお前が間違っておるだろう、をして争いになってしまう。逆にいえば私を是としたら、私は悪になるということです。つまり喧嘩をしたくないのなら、執らわれることを止めなさいということです。  ただ、今、私が言うておることは話だけ、口先だけのことですよ。そんなら、あんた、私たちがそれをできるかといえば、多少の抑制にはなっても死ぬまでとれませんね。それが人間というものでしょう。今、私は六十二歳ですが、それでそのレベルですわ。それが理屈じゃなくて腹に入って徹底したら、仏さんみたいな人やと、私が朝散歩しているのを見て拝んでくれるようになるかもしれん。絶対無理。それが執着、煩悩というものですね。  その煩悩や執着の、分別の頭でもって、仏様の悟りの世界が私は大分理解できました、と言う奴がおったら大嘘つきだ。わかったようなことを言ってるだけの話です。凡夫で世界に身を置いて生活している限りね、いくら考えてわかったつもりでも、実はサッパリわかっておらん。だから人間はね、人を見下したようなことを言うたりするけど変わらんのです。言うてる本人も同じレベルでたいしたことはない。たいしたことがないのに仏様の悟りの世界をわかるはずがない。理屈はなんぼでも言えるんですよ。  悟りを開いたらね、平等の境地というのが開かれるということだそうです。分け隔て無し、怨親平等が仏様の悟りの境地です。怨というのは怨憎で、親は親愛。言い換えたら敵と味方。おりますね。この世界に、あんな奴おらんかったらいいのに、と。一人や二人はおるでしょ。なんであんな奴が家の近くに住んでおるのかと思うのがおるでしょう。逆にあの人は、お友達でめちゃくちゃ中がいいんや、というのもおるね。これをやっている間はクソ凡夫です。手のつけようのない重病人です。でもね、智慧の眼が開かれたら、自分にとって不利益をもたらす仇のように思う者も、また自分に利益をもたらしてくれるような、あの人はええ人やというおもいを超えて、その両者を等しく見ていくことができる智慧の眼が開かれる。それが怨親平等という仏様の悟りの境地です。わかりましたか?わかっとらんわ。私だって一つもわかっとらんのだから。理屈を言えば、そういう話ですよということで、くれぐれも誤解のないように。妙覚寺の隆徳はなかなかわかっとるやないか、とね。わかったようなことを言うているだけの話で、実はサッパリわかっとらんのですよ。たいしたことはない。  いずれにしても、驕慢の心、慢心が阿弥陀様のお心を頂くのに、とっても邪魔をする。たいしたことはないのに、賢いように思う。賢いように思って、私が聞いて、それを十分理解して納得ができたら、信じてみようかという聞き方です。これは聞いとるというても、実は一つも聞いておらんのと同じなんです。信というのは聞くという事です。何を聞くのかといえば、面倒な話やなくて「南無阿弥陀仏」という仏様が、お前という者を必ず仏様というものにするぞという、仏様のお心を聞かせていただく。「ああ、そうであったか」と気づかせていただく。これだけの話だ。なにもないでしょ。仏様の大悲のお心を、お心のまま、そのまんまいただくということやから。  浄土真宗の歴史の中では妙好人さんというのが出てきている。赤沢君のところの御生家のお寺も、庄松さんという妙好人の出られたお寺です。庄松さんは仏様の智慧というものを、そのまんま真受けになさった有難い御同行だった。というと、よっぽど賢い立派な人だったかというと、そうではなくて逆ですわ。世間的な知識には、とんとうとい人だった。一文、二文の銭の勘定もうまくできない人だったというんだから、世間的な知識では私の方が遥かに上や。私は二桁の計算ができますよ。三桁なったら、ちょっと頭の中がスムーズに回路が通じなくなってきとるけどね。二桁ならパッとできますが、まあ、それもその内、アカンようになるかもわからん。まあ、妙好人には、読めないとか、書けないとか、そういう人も多いんですよ。それが仏様のお智慧を、そのまんまいただきなさった立派な人なんですよ。  じゃあ、その人達が始めからありがたかったのかという話ですわ。妙好人の話はあんまりなさらなかった、お東(浄土真宗大谷派)の金子大栄という先生がおった。この先生は妙好人の話は全然しとらん。なんでかというと、妙好人の話をすると、聞いた人が「ああ、こういうふうにならんかったら、仏様のお心を頂ておらんのや」と思い違いをするかもしれんからやと。いわゆる、妙好人さんが美しく仏様のお心を頂いた人のモデルになったら、逆に邪魔する。私は庄松さんのように頂けておらんから、これでは駄目だ、となるでしょう。だから金子和上は、妙好人の話は一切なされなかった。  たしかに妙好人さんの話は割とありがたい話が多いんですわ。せやけど同じ妙好人さんの話なら、ありがたくない話の方がありがたいんです。モヤモヤとして、仏様が、お前という者を必ず仏様にするぞと、なんぼ聞いても、それがスッと入ってこん。真受けにできん。そういうところで聴聞というのはしんどい目をした人の話というのはスッと入って来る。  私が若い頃、学生時代に本願寺で得度式というのを受けて僧侶にならしていただいた。学校の寮に住んでいたから、帰ったときに先輩が部屋に来られて、「十日間ご苦労さん、これ僕からのプレゼント」と小冊子を下さった。その先輩というのが以前、うちの永代経に御講師に来て頂いた、岡本法治先生だった。下さった本が薄いペラペラのものだったので「なんだこんなもんか」と思ったけど、これがとてもよかった。『お軽さん』という冊子だった。最後のページに『徒然草』の一節が筆で書いてあった。「国に賊あり。小人に財あり。君子に仁義あり。僧に法あり。」*という下りの所だった。  私はその頃、お軽さんという人を知らんかった。そりゃ知らんでもええんや、200年前の人だから。女の人で、山口の下関の沖合に六連島という小さい離れ小島があって、そこで生まれ育った人なんです。この人の幸七さんという、ご主人が浮気したんです。北九州に愛人ができた。誉められたものやないけど甲斐性はあるね。それで段々帰ってくる足が遠のいた。それで周囲の人が、お軽さんは中々気性の激しい人だったから内緒にしていた。ところが、そんなことはいつまでも隠せない。その内ばれた。それで、お軽さんは嫉妬の炎を燃やしたわけです。もう二人の間に子供がおったから、頼みにしておった最愛の夫に裏切られた。そのやるせなさが縁になって、島にある西教寺というお寺に足を運んで仏法を聞くようになった。その当時、現道という方が住職を勤めておられた。それで現道住職の日記に書いてある「今日もお軽が訪ねてきて、わしにあれやこれやと聞いて帰ったけれども、お慈悲がわからんと泣きながら帰っていった。わしに力がないばかりに、お軽にわかるように、お慈悲を伝えてやることができん。すまんことじゃ」と。偉いでしょ、この住職。私はこの小冊子を読んで、一番感動したのが、そこなんです。得度が済んで私も今日から僧侶になって、御門徒様の所へお参りさせていただいて、お勤めだけやなくて仏様の話もさせてもらうんや、と思ってた。こういう住職になったらええなあと、その時思った。未だになれとらん。たぶん死ぬまで無理や。後は若い後継者にバトンタッチするしかないけどね。  まあ、お軽さんは、聞いても聞いても、お慈悲がわからんと泣きながら帰っていた。お軽さんは後に、その頃のことを振り返って詠まれた詩がある。これがありがたい。 「こうも聞こえにゃ聞かぬがましょ  聞かにゃ苦労はすまいもの  聞かにゃ苦労はすまいといえど  聞かにゃ落ちるし 聞きゃ苦労  今の苦労はさきでの楽と  気やすめいえど気はすまぬ  すまぬ心をすましにかかりゃ  雑修自力とすてらるる  すてて出かけりゃなお気がすまぬ  思えば有念 思わにゃ無念  どこにお慈悲があるのやら」 当時のお軽さんがモヤモヤとして、どうしても仏様の「お前を仏というものにするぞ」という、お喚び声が、お喚び声のまんま、そのまんま、仏の大悲のお心を頂戴する事ができなかった、という心情が見事に詠われています。ありがたい話もええですけどね、ありがたくない話はどうですか。私と一緒やないかと思いませんか。聞いても聞いても、わからない、聞こえていないんですわ。それでモヤモヤとしておられた。  そのお軽さんが後に詠まれた詩で、 「どうで他力になれぬ身は 自力さらばとひまをやり  わしが胸とは手たたきで たった一声きいてみりゃ  この一声が千人力 四の五の云うたは昔のことよ  じゃとて地獄はおそろしや なんにも云わぬがこっちのねうち  そのまま来いよのお勅命 いかなおかるも頭がさがる  連れて行こうぞ 連れられましょうぞと  往生は投げた 投げた」 自分が聞いて得心がいって、納得したら阿弥陀さんを頼んでみようか、阿弥陀さんにお願いしてみようかという聞き方じゃない。「往生はなげたなげた」というて言われている。私の心のありようで、お浄土参るという話でなかったということに気が付いた。「そのまま来いよ」の、お喚び声一つだったと、うなずいていかれた自らの賢しらな、はからい心でもって、お浄土参りをはっきりしていこうという自力の根性が廃ったのを、「往生は投げた 投げた」と詩に詠まれてある。ありがたいでしょ。  私は一緒やな、と小冊子を貰って読んだときに思いました。お軽さんが「こうも聞こえにゃ聞かぬがましょ」と言われた心情は、今の私と同じレベルやないかと。私が聞いて納得して、理解して、お浄土参りというのでなかった。「そのまんまたすけるぞ」「お前というものを、必ず仏様というものにするぞ」という仏様が、「南無阿弥陀仏」という御名の中に証拠を示して下さって、ただいまここにはたらいて下さった。なんとありがたいことであったと、うなずかせていただいた。だから、聞かせていただくというのは、耳で、頭で理屈を聞くのではない。感じ取る。ブルース・リーの映画であったね。『燃えよドラゴン』で師匠が弟子に教えておったね。頭をパシン叩いて「考えるな感じろ」とね。そういう感性が大事やと思います。理屈をなんぼ聞いて詰め込んでも役にたたん。間違えないように、正しく教えを理解して伝える上では必要や。けどね、仏様の大悲のお心を伝えるのに理屈はいらん。感性です。「お前を必ず仏様というものにするぞ」と南無阿弥陀仏と、今ここにはたらいて下さってある仏様。それをそのまんま、こちらがお聞かせいただく。だから信心のことを聞くといわれる。 「きくといふは、本願をききて疑ふこころなきを「聞」といふなり。またきくといふは、信心をあらはす御のりなり。」(『一念多念文意』) 私らが聞かせて頂いておる御法義、浄土真宗の南無阿弥陀仏は、どうなって参って来いよ、こうなって参って来いよという話とは全く違う。「そのまんまたすけるぞ」のお喚び声一つであったと、お聞かせいただく。  今月の法話会、これで終わらせていただきます。 *『徒然草』第九十七段 「そのものにつきて、そのものを費し損ふもの、数を知らずあり。身に虱あり。家に鼠あり、国に盗人あり、小人に財あり、君子に仁義あり、僧に法あり。」 (意訳)その物に寄生して、その物を蝕み損なうものは、数知れずある。身体につくシラミ。家の柱を囓るネズミ。国には泥棒。器の小さな人は、持った大金によって身を滅ぼす。君主は仁義という道徳倫理に縛られて破滅する。僧侶も仏法を理屈として受け取ると、かえって仏のお慈悲がわからなくなる。