仏像の二つのお姿
〜坐像と立像〜
「仏さまのお姿」を想像する時、あなたはどんなお姿を思い浮かべますか?
仏像を想像してみると、そのお姿や形は様々です。
お姿の違いにはどんな意味があるのでしょうか?
仏像の種類を大まかに分けると、座ったお姿の「坐像」と立ち姿の「立像」という特徴が見られます。
どちらがご立派か、というわけではなく、それぞれ表現されるものが異なります。
例えば、観光地などで有名な大仏を想像してみましょう。
東大寺奈良の大仏(盧遮那仏)や、鎌倉の大仏(阿弥陀如来)などは有名ですが、座ったお姿をされています。
この座ったお姿を「坐像」といいます。「坐像」の仏さまは、一般的に、人々をどのように導くか考えておられる説法の姿を示されています。
穏やかなお顔で、印相も様々ですが、心静かに精神を集中していることを象徴する印や、人々の畏れを取り除くような印を結ばれています。
浄土真宗の阿弥陀さま
〜立ち姿で、前かがみ〜
一方で、浄土真宗のご本尊の阿弥陀さまは、立ち姿の「立像」です。
この立ち姿は、まさに今、人々を救済しているお姿を表しています。
阿弥陀さまは、苦しみ多き世界に沈む私をよくよくご存知です。苦しむ者がそこにいれば、座っていることができず、休むことなくお救いくださるのです。
実は、阿弥陀さまの木像を真横から拝見すると、今にも動き出しそうなくらい前かがみになっておられます。その前傾の姿勢からも、私を放っておけない阿弥陀さまの御心があらわされています。
小さな子ども(私)が危ない所にいる時、危険を察知した親(阿弥陀さま)は、考える間も無く、すぐに助けます。
私を救わんとまさに飛び込もうとするお姿です。
私をご覧になった阿弥陀さまは、立ち上がらずに居られなかったのです。
立撮即行
〜立ちながら撮りてすなはち行く
お立ちになった阿弥陀如来の姿を、立撮即行(りっさつそくぎょう)といいます。
中国の善導大師(ぜんどうだいし)はこれを、「立ちながら撮りてすなはち行く。端座してもつて機に赴くに及ばざるなり」と解釈されています。
阿弥陀さまが、立ち上がり(立)、私をつかみとって(撮)、お浄土につれて行く(即行)という御心をあらわしているのです。
阿弥陀さまは、私の命を受け入れるお浄土を建立されました。
しかし、ただそこで坐って待たれているだけの仏さまではありません。
「南無阿弥陀仏」のお念仏となって私の口にあらわれ、常に私とともにいてくださいます。
そして、今、私のために立ち上がり、摂め取って決して捨てない御心が、立ち姿としてあらわされているのが、浄土真宗のご本尊なのです。