このたび、妙覚寺新会館に、障壁画「地水火風」を奉納いたしました。
この作品は、手漉き和紙に「松煙墨」で描いたものと「焔」を直接和紙にあてて煤を定着させた二つの技法で制作しています。
私は、現在まんのう町中通に、妻、博子とともに居住しています。
この家は、かつて曾祖父母、祖父母が暮らしていました。その関係で祖父、父の代から妙覚寺さんと深く親交し、信心の大切さを教えていただいてきました。
この障壁画のテーマは、「宗教的宇宙感」から生まれました。
人間がなぜ存在し生きて死ぬのか?宇宙の存在を抜きには語れない。
その宇宙に地球は存在し、私たちは生かされている。
「大地」は生物の帰り行く場所。
「水」は地球生命の源であり、「火」は生命エネルギーの象徴であり、浄化という側面も持っている。
「風」は大気の象徴で、生命活動に必要不可欠なもの。
すべて人間にとってなくてはならぬものです。
会館東の仏間に面した襖絵は、「水」の姿です。
大海原に雨が注ぎ、天と海とが循環している様です。
その裏面は、「地」です。
ちょうど妙覚寺南方にそびえる「大川山」を描いています。
妙覚寺から見るこの山々は神々しく美しい。
中央の間、東に面した襖絵は「風」で、大海原から立ち上る竜巻をイメージし、大気が海水を巻き上げるすさまじい情景を描きました。
その裏面が「火」です。火炎が捲き起こる様を描いています。
今日、芸術家は宗教から離れ、自己表現を唯一のものとして制作する傾向が顕著であると思います。芸術家が、宗教から制作のテーマを遠ざけ始めたのは、近代ヨーロッパの社会変革によるものでそれが定説となっています。
芸術は、社会とは無関係ではありません。近代化は封建制社会との決別であり、避けては通れなかった道筋です。
私も現代美術を追究しようと、20代前半から抽象絵画表現を模索してきました。
そして創造とは、既成概念にとらわれず、ある意味、破壊的な行為も芸術表現では必要だと暗中模索の苦しんだ十数年の期間がありました。多くの現代美術を研究、表現する芸術家は、みなそういう思いがあるはずです。
そうした歴史文脈から、一人の現代アーティストが、宗教の影響を受けて制作したと話すと、時代から退行したように感じるかもわかりません。しかし私はそう思っていません。
近代以降、人間はあまりにも多くのものを破壊してきました。破壊の世紀であったともいえます。
21世紀は、慈しみ育て大切にする心を取り戻し、真の創造を行って行かなくてはならないと私は強く感じています。宗教はそうした心を信心として教える教義を持っています。
ご住職から教えていただいた「浄土真宗の信心」は、私の制作においても平穏をもたらせてくれました。
仏を敬い、信心することは、自己を信ずることにつながり、制作において迷いがなくなりました。
そして自己を見つめ直す機会を得て、目の前にある表現素材を率直に受けとめ、存在の美しさを生かし、大切に表現することを心がけ、今日の和紙と墨、煤という千年以上日本人が用いてきた素材から表現を生み出すことが出来ました。
その思いへと導いてくれた祖先に対する「感謝」の気持ちをこの障壁画に込めました。