私たちが、日々生きていくかてとなる主食のお米。

そのお米を、感謝の気持ちで仏さま(阿弥陀さま)におそなえするのがお仏飯(おぶっぱん)です。

地方・各家庭で呼び方が違いますが、
「おぶっぱん」「ごはんさん」などといわれます。

亡くなられた方に感謝する気持ちも大切ですが、ご本尊の阿弥陀さまを敬う気持ちからお供えします。

お仏飯は「炊きたて」を!

お仏壇にお供えするお仏飯は、毎朝、きたての一番飯を盛るのが理想的です。

朝にお供えできない時は、炊いた時でかまいませんので、お供えする気持ちが大切です。

お供えした後のお仏飯は、がりとしていただきましょう。

お仏壇のどこに置けばいいの?

お仏飯(仏飯器ぶっぱんきは、仏壇の最上段、ご本尊の前にお供えします。

↑正式には、ご本尊前に上卓うわじょくを置き、お仏飯を一対いっつい(2器)お供えします。四具足しぐそく

↑このように脚のついた供飯台(ぐはんだい)もうけて、1器お供えしてもかまいません。

形は「蓮のつぼみ」型

本願寺派ほんがんじは(お西)のお仏飯は、蓮莟形(れんがんぎょう)という形で盛りつけます。

はすのつぼみ」をイメージして山型に盛るのが特徴です。

※ ちなみに真宗大谷派しんしゅうおおたには(お東)では、「はす」の形を模して円筒えんとう形に盛りつけます。

簡単な盛り方!

ご飯を高く盛って、しゃもじスプーンで形を整えるのが一般的ですが、もっと簡単で、キレイな形に盛る方法があります。

このような100均で買える「おちょこ」や「ショットグラス」を用意します。

※ 仏飯器(ぶっぱんき)の落とし(ステンレスの皿)に合うサイズを選びましょう。

「おちょこ」を水でよく濡らして、米をめ、そのまま逆さにひっくり返すだけ!
これでキレイな形がとれます。

妙覚寺では、本堂・納骨堂・お仏壇に8お供えしていますが、この方法で盛りつけすれば、均一で、形の良いお仏飯が出来上がります!

大工さんお手製の年季の入った「仏器運び」です

お供えした後に、おげした一合ほどのお米は、夕食にいただいたり、翌朝おかゆにして食べたりします。
琴南ことなみ産のコシヒカリは時間が経ってもおいしい!

パン食の場合は?「お仏パン?」

生活が多様化して、朝は「お米」を食べない家庭もあるかと思います。

パンやシリアル、飲み物だけという方もめずらしくないでしょう。

そのような場合は、パンをお供えしていただいてもかまいません。

また、うどんや寿司すし赤飯せきはんなどを、仏さまにお供えされる方もいらっしゃいます。

(本来は白米が正式な形です)

大切なのは、私たちの命を支えてくださっている米や野菜・肉類への恵みに日々感謝しつつ、仏さまにお参りをさせていただくことではないでしょうか。

食への感謝と「対食偈たいじきげ

食事に対する僧侶の心得・いましめとして、
江戸時代の学僧がくそうである日渓法霖にっけいほうりん和上(わじょう)が対食偈たいじきげという偈文げもんをとなえられました。

尊い命を犠牲にして生きている自分の姿に「かたじけない」「もったいない」と気付かせる金言です。

対食の偈(たいじきのげ)
 日渓法霖にっけいほうりん和上(江戸時代・本願寺第4代能化)

粒々りゅうりゅうみなこれ壇信だんしん
一粒一粒のお米も

滴々てきてきことごとくこれ壇波だんぱ
一滴一滴の茶も皆、門信徒のお供えである

士農しのうにあらず工商こうしょうにあらず
僧侶という者は、士農工商という職業もなく

勢力せいりょくなく産業さんぎょうなし
何の力ももたない

福田衣ふくでんえの力にあらざるよりんば
僧侶という者は、おころもとお袈裟けさの力にらなければ

いづくんぞこの飯食ぼんじきることあらんや
この食事を頂くことも出来ないのである

つつしんで味の濃淡のうたんを問うことなかれ
慎んでいただき、味の濃淡を問うな

つつしんでしなの多少をろんずることなかれ
慎んでいただき、不足を申すな

これは保命ほめい薬餌やくじなり
この食事は命を保たせていただく薬であり

かつとをりょうすればすなわち
飢えと渇きが満たされたら満足すべきである 

もし不足ふそく想念そうねんを起こさば
若し不足に思うことがあれば

して鉄丸てつがん銅汁どうじゅうとならん
食物は鉄丸・銅汁と化すだろう

もしじき来由らいゆを知らずんば
若し食の由来を知らなければ

重きを負える牛馬ぎゅうばごと
恩を知らぬ動物と同じである 

せてもろもろ行者ぎょうじゃにすすむ
言葉にあらわして、もろもろの行者に申す

じきの時すべからくこのごんをなすべし
食事の時にこの心得を味わうべし

願わくばこの飯食ぼんじきをもって
願わくは、この頂いた食の力をもって

我が色相しきそうしん長養ちょうよう
心身ともに長く養わせていただき

かみ法門ほうもん干城かんじょうとなり
法を敬い、教えを守る者となり

しも苦海くかい津筏しんばつとならん
人々を救う苦海の船となれ 

あまねもろもろ衆生しゅじょう教化きょうけ
わけへだてなく人々を導き

とも安楽国あんらっこく往生おうじょうせん。 
共に阿弥陀仏の浄土に生まれさせていただこう